2021/07/18 22:49


「してあげたい」「してあげたのに」


私はこの言い方をする人が非常に苦手です。

もちろん、これは私個人の感覚です。

してあげないと、という表現をされると圧を感じるのですよね。

家族や友人との会話で


「〇〇してあげないといけないじゃん?」

「せっかく〇〇してあげたのに」


という言い方を聞くと(ん?)と思ってしまいます。

なので、私は親しい人がそういった表現をすると間に髪を容れず、


「してあげたのにと思うなら初めから何もしない方がいい。恩着せがましい事この上ない。」


と少々きつく言ってしまうのです。

たかだか言い方の表現ひとつでうるさいですよね(汗)

はい、実際「いちいちうっせぇわ」

と思われていると思います。

頼まれていない事に対して誰かを思って何か行動を起こす時、そういった気持ちを持っているのはどうなのかと思ってしまうのです。

そういう気持ちは無償のものではないのか、と。

「見返り」

この言葉が浮かびます。

感謝されたい、すごいと思われたい、頼られたい。


もしかしたら表現がそうなってしまっているだけで、見返りなんて求めていないのかもしれない。

そう考えた時期もありました。

しかし、私の近しい人間で「してあげた」発言をする人が、愚痴らずに黙って施しているところを見たことがありません。

しばらくすると必ず


「こっちが〇〇してやったのに無駄にして」

「〇〇してあげたのに礼のひとつもない」


こういった話を持ち込んできます。

人が人を思って起こす行動を、いちいち

「すごいこと」「特別なこと」

だと思って行動するから、怒りの気持ちが生まれてしまう。

何だかなあ、と。

皆さんの周りにそういった表現をしている人はいませんか?

亡くなった曾祖母の言葉を思い出します。


「例えば誰かにお金を貸そうと自分の意志で決めたのなら、それはもうあげたものだと思っておきなさい。」


借りたら返すのが人として当たり前なのになと思うのですが、曾祖母は

「貸すと決めたなら返ってこなくても文句を言わない。そう腹を括れ。」

常々そう言っていました。

自分が決めた事を誰かのせいにするな。

そういう意味ですね。

今は極楽浄土での生活をしているばあちゃん。

自己の確立が半端ない人でした。



あ、ブログの題の「ホワイトセージ」は内容と関係ないだろうって?

いやいや、そんなことはありませんよ。

ホワイトセージを燻した煙を浴びれば、そんな詰まらない欲も無くなるってものです。

(ホントかよ)